こんにちは、SayGrace(セイグレイス)の勅使河原 以津子(てしがはら いつこ)です。

今日も、わたしのことを少しお話させていただきます。
昨日、一昨日のブログで、カウンセラーの黒歴史(?)をお話させて頂きましたが、今日はちょっとだけ現実的なお話になります。

※カウンセラーはだいぶ変わっておりますので、神様とか天使とかのワードが出てきます。※
※苦手な方は、この辺りでスルーしてください。大変危険です。※

カウンセラー/ヒーラーの略歴

大学(法学部)を中退したあと、外資系の金融機関に就職、その後ITベンチャーの金融部門で社長秘書をしながら事業再生やM&Aなどに携わったのち、外資系VC(ベンチャーキャピタル)にて営業を経験、その後入社した企業でブライダル施設の開業を経験後、世界的に有名な某外資系企業に勤め、た。までは良かったのですが・・・なんだか高次の存在に怒られるような形でレイの仕事に押し出され・・・現在に至ります。産業カウンセラー・メンタルカウンセラー・米国NLPプラクショナー・グリーフケアアドバイザー1級等資格保有。

こうみると何も問題ない人生のように見えますが(あえて当たり障りなく書いているのもありますが)、実際はズタズタで、ボロボロで、ボロ雑巾みたいな人生でした。
それはそれは、話し出したら徹夜で3日4日かかるくらい、波乱万丈な人生です。。。

実際、このお仕事につくために、天の計らいで人より厳しい人生だったのかも知れません。今では感謝しています。(・・・嘘です。やっぱり無茶苦茶キツイです・・・)

暗中模索の数十年

わたしは、やはりだいぶ感覚が変わってるので、本当に現在の日本で働くことが、とてもとても苦痛でした。幸いなことに、日本語OKな外資系企業に運よく採用されたので、なんとかやれてきましたが、それでも無理をして枠にはまっていると「魂」がどんどん、どんどん死んでいく感覚がありました。(楽しい仕事も、もちろんありましたよ~!)

なので、心理学を勉強してみたり、哲学書を読んだり、教会に通ってみたり、カウンセリングを学んだり、コーチングを学んだり、そんな「自分探し」のような作業を、仕事が終わったあとや、休日、仕事の休憩時間にずーっと取組んできました。「しっくりくる」感覚を強く求めていました。
(この頃、スピリチュアルな能力には大変懐疑的でした。。。昔、某宗教団体の事件もありましたし、そういう証明できないような能力に溺れると怖い。と真剣に思っていました。)

※次の記事から、若干ヘビーになります。苦手な方は、間違いなくスルーしてください※

死のう。

「死のう」

ある日、そう決めました。

小さい頃から、「死んだらどこへ行くんだろう?」「わたしはどこから来たんだろう?」と、哲学するのが好きだったからかも知れませんが、「もう帰りたい」(どこかわからないけど)という気持ちはズッと持ち続けていました。いつもハムレットの「To be, or not to be」状態です。それが「Be.」へと、変化したのです。

専門用語では、希死念虚(きしねんきょ)~具体的な理由はないが、漠然と死を願う状態。死にたいと願うこと~といいますが、本当にもうこの先なん年も、生きていける気が全くしなかったのです。

身の回りの物を整理しました。要らない本は捨て、要らない服も捨て、預貯金・証券口座、登記簿謄本、クレジットカード、パソコン内の不要なファイル、必要なパスワード、想い出の品、家族への手紙、EXIT(最期のとき)の希望・・・諸々を済ませました。

こんなにも死へ向かおうとするのは、もしかしたら鬱(うつ)病かも知れない。うつ病だったら、死んでもしょうがないよね。病気だから。わたしはそう思い都内の有名な心療内科へ出向きました。

東大医学部卒業の優秀なベテラン先生を目の前に、大泣きし、死にたい旨を力説し、散々散々ぶちまけました。「鬱(うつ)もしくは重篤な精神疾患ですね。残念です。」の言葉を期待していたのですが、診断結果は、「んー。うつ病ではないし、他の病気でもないですね~!一応、甲状腺とか他の病気の可能性もあるので、血液検査をしてみましょう。」でした。

「え?」(泣き止む)

十中八九、鬱(うつ)だと思っていたのですが、全くもって違う症状のようでした。(血液検査も特に何もなし)
なんだこれ?病気でもないの?

・・・どうしよう。

なんだか拍子抜けしてしまったので、とりあえず転職し、違う環境で仕事をしてみようと職探しをはじめました。お金の事は二の次にし、自分の好きなことを極力優先し転職しました。(後から思うと神様って、天って、宇宙のプログラムって、本当によく仕組まれているな~としみじみ思います。)

もちろん、デスダイバー(Death Diver/死へ飛び込む人)(こんな言葉あるのかな?)のバイブル「完全自殺マニュアル」も購入し、読破しました。(今でも、お守り代わりに持っていますよ~)

この本は危険性もあるかも知れませんが、わたしにとっては本来の主旨通り、自死を思いとどまるゲートキーパーになりました。どれもこれも、痛そうだし、面倒だし、失敗したら嫌だし・・・それに「いざとなったらいつでも逝ける」という、自信というか、心の支えというか、安心感というか。とても良本だと思いますよ。(よい子のみなさんは、購入に気をつけてくださいね!)特に、この本の冒頭には至極共感しました。(以下、抜粋)

三島由紀夫は自伝的小説「仮面の告白」のなかで、「戦争より『日常生活』のほうが恐ろしかった」って書いた。僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この「身ぶるいするほど恐ろしい日常生活」を生きていく。得体のしれない”安定した将来”をしっかり引きつけておくために。一歩一歩慎重にコースを踏み外さないように気をつけながら。テレビのドラマみたいなハッピーエンドはない。ただグロテスクな”ハッピー”が延々と続いていくだけだ。そうキーワードは「延々」と「くり返し」だ。延々と続く同じことのくり返し。これが死にたい気持ちを膨らます・・・(出展:THE COMPLETE MANUAL OF SUICIDE)

こうして無気力感を抱きながら延々と同じことをくり返す僕たちは、少しずつ少しずつ、”本当に生きてる実感”を忘れていく。生きてるんだか死んでるんだか、だんだんわからなくなってくる。「生きてるんだなぁ」ってどういう感じだっけ?今や生きていることと死んでることは、消えかかりそうな、ほそーい境界線で仕切られているだけだ。だからもう「命は大切だから自殺はいけない」だの「生きていればいつかいいことがある」だの「まわりが悲しむから生きなさい」だのといった言葉は、「犬も歩けば棒にあたる」ほどの重さしか持ってない。(出展:THE COMPLETE MANUAL OF SUICIDE)

この本を読み終わった頃、なんだか同じ気持ちを共感できる、綺麗ごとなんて言わないクールな人がいたことに感動し、感謝し、まるで憑き物が落ちた気分になり、徐々に復活することになりました。

そして、運命はここから。

この「死にたい」ほどに、もがき苦しんだことが、泣きはらし、もうダメだと何回も思ったことが、ツインレイとの出会いにつながっているとは、この時には全く気づかなかったのです。

この続きは、また幸運のブログにて~。